東進の英雄記念碑

 2018年8月5日、東京世田谷区の豪徳寺にて『東進の英雄』記念碑建立式が執り行われました。


『東進(Đông Tiến)』とは、共産主義政権からベトナム国民を解放する事を目指し、世界中のベトナム難民で構成されたベトタン(ベトナム革新党)のメンバーが1980年代初頭にラオス領内で開始した抵抗運動を指します。
 当時のベトタンの指導者ホアン・コー・ミン(元ベトナム共和国海軍准将)率いるベトナム愛国軍統一戦線はタイを経由してラオスに潜入し、その地で秘密ラジオ放送『自由ベトナムの声』を放送するなどして、共産主義政権の支配下にあるベトナム国民やベトナム人民軍兵士に政権への抵抗を促しました。また統一戦線はラオス国境を越えてベトナム領内への侵入を図りましたが、1987年にラオス・ベトナム軍の反撃によって多数の死傷者を出し、指導者ホアン・コー・ミンはその地で自決、東進は失敗に終わりました。
 その東進の準備段階において、ベトタン党員は難民として移り住んだ世界各地で活動資金の調達を行っていました。ここ日本では、ベトタンのメンバーは東京の豪徳寺において落ち葉拾いのアルバイトをして活動資金を捻出し、そして彼らはタイを経由してラオスのジャングルへと旅だって行きました。
 その際、日本で彼ら統一戦線の戦士たちの生活を多岐に渡ってお世話したのがアウ・ミン・ユン氏でした。ベトナム共和国出身のユン氏は、ベトナム戦争中に留学生として来日したものの、1975年に首都サイゴンが陥落しベトナム全土がベトナム共産党の支配下に堕ちた事で帰国できなくなり、そのままベトナム難民となって日本に定住しました。以後ユン氏はベトタン日本支部長、日本在住ベトナム人協会会長を務め、祖国ベトナム解放の為の運動に尽力されましたが、一方でその活動の為に共産政権下のベトナムに帰国する事は不可能となりました。そしてユン氏は学生時代に来日して以来、一度も故郷の土を踏むことなく、2017年11月に都内で急逝されました。
 こうした経緯から、ベトタン日本支部はユン氏が先に散った同志たちと共に過ごした豪徳寺に東進の英雄記念碑を建立し、その中にユン氏の遺骨を埋葬しました。 





生前のアウ・ミン・ユン氏と筆者
(2017年7月)

 私がユン氏と初めてお会いしたのは2017年7月にお台場で行われたフォルモサ海洋汚染問題に抗議するハンガーストライキデモを取材した時で、それから数回ベトナム人協会等のイベントでお会いしているのですが、部外者である私はベトナム人協会会長という地位にある方に馴れ馴れしく近付く事を遠慮していました。しかし、それからたった4か月後にユン氏は突然他界され、ついに詳しくお話を伺う機会はありませんでした。
 その後、ベトナム人協会やベトタン関係者から、ユン氏がいかに日本に定住したベトナム難民や実習生・留学生として来日した若いベトナム人から慕われ、彼らの心の支えとなっていたかを聞き、そのような偉大な人物に会う機会がありながら、彼の思いを直接聞き、日本国内に知らしめる役割を果たせなかった事が悔やまれてなりません。
 しかしユン氏が遺した真の愛国心と同胞への愛は、日本定住者はもちろん、日本で生活する若いベトナム人にも脈々と受け継がれており、ベトナム国民がいつの日か真の自由と繁栄を手にする原動力になると確信しています。

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