第38回 日本定住難民のつどい

 11月12日(日)、新宿区新宿文化センターで開催された「日本定住難民のつどい」を観覧してきました。この催しは日本政府の委託で日本定住難民への支援を行うFWEAP(公益財団法人アジア福祉教育財団)が昭和57から毎年主催しているもので、今年で38回目を迎えます。
 私はこれまでこの式典に参加した事は無かったのですが、今回知人がステージでベトナム舞踊を披露するとの事で、勉強がてら行ってきました。


 式典には主催者のFWEAP理事長 藤原氏、共催の新宿区長を始め、来賓として法務省入国管理局長、外務省国連担当大使、国際連合難民高等弁務官事務所駐日代表が列席され、さらに安倍首相ら政府閣僚からの祝電が寄せられました。難民支援は国の事業だと知ってはいましたが、これほどの顔ぶれが揃う式典だとは思っていませんでした。
 来賓挨拶の後は、難民を雇用する企業や協力者への感謝状贈呈、模範難民定住者への表彰状授与がありました。まぁ、この辺は政府の建前的な話しか無いので、ほとんど聞き流してましたが。日本に住む1万人、そして世界に住む300万人のインドシナ難民の方々が「なぜ祖国から逃げ出さなければならなかったのか」「なぜ今も帰れないのか」につては一切触れる事はありません。あえて厳しい言い方をすれば、この式典は日本政府の人道支援を「自画自賛」するためのものです。もちろんこの支援は難民の方々に大いに役立っていると思いますが、同時に日本政府としては、経済的利益の為にはベトナム政府など難民を生みつづけた非人道的な恐怖政治体制とも友好関係を維持したいというのが本音な訳で、この難民問題の根本原因については触れたくないのでしょう。これは国家間の関係に関わる政治的な問題であり、単なるヒューマニズムだけで動く訳にはいかないというのは私にも理解はできますが、こういう式典で偉い人たちの演説を聞く度に、どうしても日本人が出来る事の限界と言うか虚しさを感じてしまいます。同時にその悔しさが、僕がこうしてブログを書いている原動力な訳でもありますが。


さて、式典の後はお待ちかねのアトラクションです!
(スマホのカメラをズーム最大にして撮ったので画質悪いです)

武蔵野中学高等学校マーチングバンド・チアリーディング部

在日チン民族協会 ミャンマー民族舞踊

カンボジアこども支援センター カンボジア民族舞踊

新宿区役所つつじ連 阿波踊り

在日本ラオス協会 ラオス民族舞踊

日本在住ベトナム人協会 ベトナム民族舞踊

スペシャルゲスト 厚切りジェイソン「Why Japanese People!?」
厚切りジェイソンのネタを生で見れるとは、さすが政府系団体はお金持ってる(笑)
ただ、観客の難民の方々にはまだ日本語が、特に漢字が不自由な方も多いので、
ところどころネタの意味が通じず、ややウケって感じでした。
一番盛り上がったのはサイン色紙争奪ジャンケン大会でしたね。

閉会に際し、最後に会場全体で「故郷(ふるさと)」を合唱。


 正直、「故郷」はあまりに演出くさくて、それを実際に故郷を失った難民の方々に歌わせるのは日本側のエゴではないかと感じました。しかし同時に、僕も日本に生まれた身ですので、つい演出通りこの曲が持つ情緒と彼らの境遇に思いを巡らせ、目頭が熱くなってしまいました。悔しい。

 話は変わりますが、先日「故郷」という言葉に関連する感慨深いお話を、ファム・ミン・ホアン教授講演会で僕の通訳をして下さった在日ベトナム人のC氏から伺いました。C氏は元々、40年以上前に留学生として来日したのですが、ホアン教授と同じく1975年にベトナム全土がベトナム共産党の支配下に堕ちた事で帰国できなくなり、それ以来日本に定住されています。
 そのC氏が話してくれたのが、自身がベトナムに一時帰国した時のお話です。もちろんC氏にとって故郷はベトナムであり、一時的にでも母国の土を踏めた事は感無量だったそうですが、その帰り、日本に向けて飛ぶ飛行機の中で、C氏は思いもよらない感情に見舞われました。本来はC氏にとって外国であるはずの日本に向かっているのに、飛行機の窓から富士山が見えた瞬間、ふと「自分の故郷に帰る安堵感」を感じてしまったのだそうです。そして自分がそのような感情を抱いたことに気付いたC氏は、自分にとって心から安らげる故郷は日本であり、ベトナムはもはや外国になってしまった事に驚きと悲しみを覚え、涙を流したそうです。
 また私がC氏に「もしベトナム共産党政権が終わったら、ベトナムに戻りますか?」と質問をしたところ、C氏は「もう戻れないだろうね・・・」と仰っていました。同じ質問をアメリカに住むベトナム人の方々にもした事がありますが、皆さん同じお答えでした。一方で、C氏の奥様(お父上が戦後ベトナムに残った元日本兵。日越ハーフのため1978年に外国人として国外追放された)は、「どんなに長く日本に住んでいても、生まれ故郷はベトナムだからいつかは帰りたい」とも仰っています。
 私は同じ境遇に遭った事は無いので、いつも想像で話す事しか出来ませんが、そういったお話をいくつも伺っているうちに、少なくとも人間にとって「第二の故郷」とは、そう単純なものではないのだという事が分かってきました。

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