ファム・ミン・ホアン教授

   ファム・ミン・ホアン(Phạm Minh Hoàng)氏は元ホーチミン工科大学教授で、2010年に学生への講義の中で人権に関する内容を扱っただけで警察に逮捕され、2017年6月にはベトナム共産党政府によって市民権を剥奪され、国外追放となった人物です。
 そのホアン教授が来日し、東京で講演会を行うという知らせを受け、私もお話を伺うため参加させて頂きました。2017年10月22日、東京都品川区で開催された講演会には約50名の在日ベトナム人の方々が集まり、ホアン教授が体験したベトナム共産党政府による理不尽極まる弾圧と、氏が語る未来のベトナムへの展望について皆真剣に耳を傾けていました。




【ファム・ミン・ホアン教授の来歴】

 1955年、ベトナム・ブンタウに生まれる。ベトナム戦争の最中に少年時代を過ごし、1968年のテト攻勢では、軍のトラックから大量の遺体が下ろされるのを目撃する。また父と兄がベトナム共和国軍兵士として軍務についていたが、兄は戦闘で両目を失明する障害を負う。この経験から、ホアン氏は祖国ベトナムの平和と発展に対する強い想いを抱く。
   1973年、18歳の時にフランス・パリに留学する。しかしフランス留学中の1975年4月30日、共産軍の侵攻にサイゴンが陥落し、ベトナム共和国政府が消滅する。これによってベトナム共和国政府発行のパスポートが無効となった事に加え、ベトナム政府がハノイの共産主義政権に取って代わられたことで、ホアン氏は帰国を諦めフランス国籍を取得する。以後ホアン氏は2000年まで、25年間フランスで応用力学の学者・教員として勤務する。その間、1982年に結成された国際的なベトナム民主化運動組織 ベトナム革新党(ベトタン / Việt Tân)に加入する。

 その後、2000年にベトナムへの帰国が叶い、ホアン氏は以後10年間ホーチミン工科大学で応用数学の教授を務める。ホアン教授はベトナムの未来を担う若者たちを育てる事が自分にできる祖国への貢献と考え、大学では政治活動は行わず、あくまで匿名で個人のブログを運営するに留めていた。ホアン教授は、学生たちと共に過ごしたこの10年間が自分の人生で最も充実した日々であったと語っている。
 しかし、その日々は突如終わりを迎えた。2010年、ホアン教授らは数学を応用したコンピュータセキュリティーに関する研修コースをマレーシアで開催した。この研修ではこれから世界で活躍する学生たちに国際的感覚を身に着けてもらえるよう、人権や自由の尊重など国際社会の常識についても講義が行われた。するとその研修の直後、ベトナム警察はその講義が反政府活動にあたるとして、2010年8月にホアン教授を拘束して取り調べを行う。そして2010年10月、ホアン教授および研修コース開催に関わった2名が正式に逮捕される。

 逮捕後の取り調べにおいて、ホアン教授は自分が民主化運動組織ベトタンのメンバーである事を隠す事はせず、素直に警察の尋問に応じた事に加えて、ホアン教授がフランス国籍も保持していた事から、政治犯の取り調べで横行している警察による残虐な拷問は受けずに済んだ。またフランス領事館も事態の対応に当たり、月に1回フランス総領事との面会が許された。しかし裁判開始まで取り調べは約1年間続き、その間、ベトナムでは政治犯として逮捕された者は弁護士を付ける事を許されないため、裁判で弁護を担当したハイ弁護士がホアン教授と会ったのは裁判の3日前であった。またその面会も録画された上に警察官立ち合いの下行われた。
 2011年8月に行われた第一審で、ホーチミン市人民法廷はホアン教授を刑法第79条第2項『人民政府を転覆する企て』で有罪とし、懲役3年の実刑判決を言い渡した。この判決は法定刑より短いものであり、それはホアン教授が自らの活動を包み隠さず明かした事が捜査に協力的と見做されたためであった。一方、ホアン教授は、法に反する事は一切していないとし、無罪を主張して控訴した。ハイ弁護士は、ベトナムの法律には言論の自由が明記されており、ベトタンだというだけで罪に問う事は出来ないと主張した。
 その後、ホアン教授の友人である国際的に著名な数学者たちがこの不当な判決に抗議の声を上げた事や、ベトナム側政府が当時G7の議長国を務めていたフランスに配慮した事もあり、第二審では懲役17か月にまで減刑された。この間、ホアン教授には国外のベトタン組織から裁判費用の支援が行われた。
 さらにその後、ベトナム政府は国際社会からの批判を避け、G7議長国フランスに対しベトナム政府は人道的であるという事をアピールするため、2012年のテト(黄暦正月)直前にホアン教授を釈放した。しかしそれはホアン教授が自由の身になることを意味していなかった。その後3年間、ホアン教授の生活は警察によって厳重に監視され、外出にも許可が必要な自宅軟禁状態に置かれた。しかしそれでもホアン教授は、自分がベトタンのメンバーだという事を政府が認めたうえでベトナム国内で生活できる事については喜びを感じていたという。

 しかしベトナム政府は国際社会の目を欺くため一旦はホアン教授を釈放したものの、実際にはベトタンが国内に存在する事を許しておらず、いずれホアン教授を再び逮捕する旨をフランス領事館に伝えていた。これを受けてフランス領事館は3回に渡ってホアン教授を呼び出し、フランスに帰国する事を勧めた。しかしホアン教授は、今のベトナムが自分にとって危険な独裁政権下にあろうとも、25年ぶりに帰る事の出来た祖国を再び離れる事は出来きないとしてフランスへの再移住を拒否した。またベトナム戦争によって盲目になった兄の生活を介助する者も、ホアン教授の妻以外にはいなかった。
 その後さらにベトナム政府はホアン教授に対し、ベトナム国籍を剥奪するという脅迫を始めた。これを受けてホアン教授は、ベトナム国籍を失った自分がフランス国籍の外国人として強制的に国外退去させられる事を避けるため、フランス領事館に対し、自分のフランス国籍を廃止するよう求めた。しかしフランス側は、ホアン教授は1975年のベトナム共和国政府消滅と共にベトナム国籍を失っており、それ以来現在も国籍はフランスのみである(現社会主義ベトナムとの二重国籍とは認められない)ため、フランス国籍を放棄する事は出来ないとしてホアン教授の要請を退けた。
 その後の数ヶ月間、ホアン教授はいつ警察が押し入ってきて退去命令を下すかと不安な日々を過ごしていた。その間には国籍剥奪の撤回を求める訴えを裁判所に行ったが、成果は上がらなかった。
 そして2017年6月1日、現ベトナム国家主席チャン・ダイ・クアンは、ついにホアン教授のベトナム国籍・市民権を剥奪する決定を下す。ベトナムの国内法では、ベトナム国内にいるベトナム人の国籍は剥奪できない事になっていたが、またしてもベトナム政府は自国の法律を平然と無視し、今回はさらに国家主席チャン・ダイ・クアンが直接一市民への迫害を主導した。

ベトナム国家主席チャン・ダイ・クアン(左)と中国国家主席習近平(右)
写真: 新華網

 6月23日、ホーチミン市内のホアン教授の自宅前にはおよそ100名の警察官が集結し、周辺は封鎖された。またスマホによって一部始終がネットに流れる事を阻止する為、パラボラアンテナを装備した電波妨害車までもが投入された。そしてホアン教授の自宅に押し入った警官隊はすぐさま彼を拘束し、着替えも身支度もさせず車に押し込んだ。

逮捕時に密かに録音された音声(映像: VOA)

   その後ホアン教授はロンアン省の強制送還外国人留置所に移送された。そこでホアン教授は警察から、「自分は自主的にフランスに帰国する」という虚偽の文書を書くよう強要されたものの、それは拒否した。
 収容から24時間後、フランス領事が留置所を訪れ、国籍剥奪はクアン国家主席の決定なのでそれを覆す事は出来ない事と、フランス政府がホアン教授に対し、パスポートに代わる渡航証明書を発行する事を伝えた。
 その後ホアン教授は空港に移送され、飛行機に乗せられたが、この時点でも着替えはできず、自宅から連行された際に着ていた部屋着にスリッパ姿のままであった。また機内には3名の警察官が同行し、パリの空港に到着するとさらに2名のベトナム治安警察関係者が加わり、ホアン教授を入国審査のゲートまで連行した。そしてフランス入管が渡航証明書にスタンプを押した時点で、ようやく警察官たちは去り、ホアン教授は自由の身となった。

【ホアン教授が語るベトナムの現状と今後の展望】

   以上が、つい4か月前にベトナムで起こった出来事です。ホアン教授は逮捕後、身一つで飛行機に乗せられた為、ベトナム国内での蓄えは何一つ持ち出す事は出来ませんでした。現在ホアン教授は、以前フランスに住んでいた際に購入していたかつての自宅を賃貸にして貸し出し、現在はその家賃収入でなんとか生計を立てているとの事です。また奥様はホアン教授のお兄さんを介護するため、今もベトナムに残っておられます。 
 フランス政府はホアン教授の追放ついて、フランス国民とベトナム政府との間に発生した問題として対応はしましたが、国外退去によってその問題は一件落着したと見做され、それ以来フランス政府による支援は何もありません。

 あれから4か月が経ち、ホアン教授はこの体験をベトナムの真の発展に活かすべく、世界中のベトタンから支援を受けて、国外のベトナム人コミュニティへの講演活動を精力的に行っておられます。今回の来日も、この活動の一環です。
 自身の体験談の後、ホアン教授は日本に住むベトナムの若者たちからの質問に、丁寧に答えられました。以下、そのやり取りの要約になります。

●ベトナム国内の民主化運動の現状について
 現在ベトナム政府は民主化運動への締め付けをより一層強めており、現状は芳しくない。直接的な民主化運動・政府批判でなくとも、フォルモサなど環境問題に対するデモも反政府活動と見做されている。また企業も政府に従属しており、フォルモサのデモで警察に逮捕されると、仕事は即日解雇され、またローンなどは貸し付けが取り消される上に違約金まで発生してしまう。これは明らかに政府の圧力による見せしめである。
 また残念なことに、未来のベトナムを担う若者たちの多くは、安定した生活を求めて政府に従属する道を選んでしまう。特に頭脳明晰な学生は将来共産党幹部として出世する為に、治安大学という国民の統制と弾圧を専門に学ぶ政府直属の大学を目指している。民主派にとっては、運動を牽引できる聡明な人材の確保が非常に重要な課題である。

●わたしたち市民にできる事は?
 今は無力でも、小さなグループを作って意見の発信を始める事が大切。東欧の民主化はこのような草の根の運動から発展し、ついには国家レベルの改革を達成するに至ったのだから。
 また一般の労働者は味方である。私が逮捕された時も、私の家族は周囲から嫌がらせを受けるどころか、近所の人たちは皆私の家族を心配して何かと力になってくれた。
 現在政治犯として服役中のムン氏には、心ある人々から毎月60kgもの差し入れが届く。ムン氏はそれを同じく刑務所に収監されている良心の囚人たちと分け合っている。

●ベトタンについて
 ベトタンは1980年代に武装組織を持っていたため、ベトナム政府によって暴力革命を目指すテロリストと宣伝され、ベトナム国内の民主化勢力からもそのような目で見られる事があるが、これは全くの誤解である。武装していたのはカンボジア領内で行っていたラジオ放送局と構成員の自衛のためであり、ベトタン自身、あの程度の兵力で国家の軍事力を相手に戦えるとは考えていなかった。現在はその武装組織も解散しており、ベトタンは純粋に市民による運動である。政府はベトタンを脅威と宣伝しているが、実態は武器を持たない民衆を政府が一方的に脅かしているだけである。
 また民主派が暴力的な手段を使う事は、ベトナム共産党政府が最も待ち望んでいる事である。一度暴動が起これば、政府は「反政府勢力が平和を脅かしている」と宣伝し、圧倒的な武力で弾圧に乗り出すだろう。そうなれば長年の努力が無駄になりかねない。なので我々は、民主派を装って暴力的な手段に誘導しようとする政府側の工作員に警戒しなくてはならない。
 以上の理由から、ベトナムの民主化運動は、絶対に非暴力でなくてはならないし、実際軍事的な戦いを行える戦力も無い。


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   以上がホアン教授が講演会で語られた内容になります。ベトナム語の不自由な私の為に、終始通訳をして下さったグエン・カム氏に、心よりお礼申しげます。お陰様で大変勉強になりました。
 また当日は、講演会が始まる前にホアン教授から直接お話をうかがう機会もあり、終了後に居酒屋で行われた打ち上げにもご一緒させて頂く事が出来ました。大変貴重な体験ができ、嬉しく思うと共に、自分に課せられた使命の重要さも感じた一日でした。

ホアン教授(中)と筆者(右)

 今やベトナムは多くの日系企業が進出し、大勢の観光客が訪れる日本にとって比較的身近な国となりましたが、このように人権も人道も、自国の法律すらも平然と踏みにじるベトナム共産党の暴政の実態は、日本ではまだまだ知られていません。そして事実を知るベトナムの人々と、ベトナムに対して一種の幻想を抱いている日本社会の間には、その認識にかなりのギャップがあります。私としては、少しでもそのギャップを埋め、日本とベトナムの真の友好に寄与できればとの思いから、今後もホアン氏を始めとする真に祖国の発展を願う誠実なベトナムの人々の活動を日本語でお伝えしていきます。

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