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ホーチミン市当局 カトリック難民街を強制立ち退き

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今、ホーチミン市(旧サイゴン)市6区の一角にあるロックフン菜園(Vườn Rau Lộc Hưng)という住宅街に住んでいた124世帯150名以上の住民たちが、当局の暴政によって強制的に立ち退きを迫られ、家屋を破壊され、路頭に迷っています。

画像: Hoang Vu / Facebook
 このロックフンでは住民の100%がカトリック信徒であり、彼らは元々、ベトナム北部に住んでいた人々でした。第一次インドシナ戦争中(1946-1954)、ホー・チ・ミン率いるベトミン/ベトナム共産主義勢力はキリスト教・カトリックをフランス帝国主義勢力と見なし、同じベトナム人であっても見境なく迫害・虐殺していました。さらに1954年にベトミンが戦争に勝利し北ベトナムにホー・チ・ミン政権が成立した事で、北ベトナム領からはカトリックを中心とする約100万人のベトナム国民が難民として南ベトナム領へと避難しました。

フランス・アメリカ軍による北ベトナム難民移送計画『自由への道作戦』の様子 (1954年)
南ベトナムの首都サイゴン郊外に設置された北ベトナム難民キャンプ (1954年)
 ロックフンの住民は全員、この時南ベトナムに避難したカトリック信徒とその子孫であり、彼らはパリ外国宣教会(MEP)が所有するロックフンの土地に60年以上、何世代にも渡って居住してきました。

強制執行前のロックフン菜園 画像: TRANG TTĐTTH CỦA CÔNG TY VIETNEWSCORP 

 土地所有に関する現ベトナム政府の通達(1999年)では、「1993年10月15日までに係争なく土地を所有していた者」は合法的に土地を所有できると定められています。ところが近年、ホーチミン市の再開発事業が加速し、地価が高騰すると、各地で当局による土地の強制接収・住民の強制立ち退きが横行しています。70年以上に渡って法の支配が存在せず独裁政権が続いているベトナム社会主義共和国では、地方から国家レベルまで政府当局者は権力を利用して私腹を肥やす事しか考えておらず、開発業者と共謀してあらゆる手段で地上げを行い、再開発の利権を欲望のままに貪っています。
 そして今回も、ロックフンに高層マンションを建設する再開発計画が持ち上がると、ロックフンに住んでいた124世帯の住民たちには土地の所有権はおろか居住権すら認められず、ホーチミ…

私とベトナム 2018年

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2018年も終わりが近づき、この一年を振り返ってみると、今年はいつになくベトナム関連で新しい出会いがたくさんあり、とても勉強になった一年でした。1月から順に振り返ってみます。

2018年1月 日本在住ベトナム人協会の「新年のつどい」に参加。  アオザイ着てチェー(ぜんざい)売りをお手伝い。 https://watching-vn.blogspot.com/2018/02/blog-post.html
2月 日本在住ベトナム人協会の元旦節(テト・グェンダン)新年会に参加
新年会の翌週は、埼玉県内のカトリック教会で開催された元旦節のお祭りにもお招きいただきました。

マウタン1968(テト攻勢)犠牲者追悼式典に参加 https://watching-vn.blogspot.com/2018/03/196850.html
3月 東京 雑司ヶ谷霊園にあるチャン・ドン・フオンのお墓を参拝。
ここは日本を訪れた愛国的ベトナム人が必ず詣でる、ベトナムと日本の歴史的接点です。


【チャン・ドン・フオンの墓について】 明治時代、フランスからの独立を目指し抗仏闘争の活路を求めて日本に渡ったファン・ボイ・チャウ、クォン・デらは、ベトナムの学生を日本に留学させる東遊(ドンズー)運動を開始します。チャン・ドン・フオンはその東遊運動によって来日した学生のリーダー格の一人であり、特にクォン・デが弟のように寵愛していた人物でした。しかしフランスは日本政府に対し、ベトナム人留学生(フランスにとっては反乱分子)の送還を求め、日本政府もフランスとの関係を優先してこれを受け入れ、不法滞在の容疑で全ての留学生に国外退去を命じます。ファン・ボイ・チャウ、クォン・デらも日本から第三国に脱出せざるを得ず、これにより東遊運動は瓦解します。チャン・ドン・フオンはこの日本の裏切りに加え、資金援助の頼みを父に無視された(実際にはフランス側が書簡を差し押さえており父には届いていなかった)事に絶望して1908年に東峯寺境内で首つり自殺します。当時ベトナム人留学生は清国人と身分を偽らざるをえなかったため、フオンの遺体は無縁仏として雑司ヶ谷霊園に埋葬されました。このお墓は後年、日本に帰還したクォン・デがフオンのために改めて建立したものです。 

 4月 テレサ先生の講演までお花見
https://watching-vn.blogspo…

Human Rights Fair 2018 Tokyo

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今年は世界人権宣言が国連で採択されてから70年の節目という事で、12月10日の世界人権デーに合わせ、日本在住ベトナム人協会が主催する「Human Rights Fair 2018 Tokyo」が2018年12月15日に東京都内で開催されました。
 いまだベトナム共産党独裁政権による国民への凄惨な弾圧・人権侵害が続くベトナムにとって、人権の保護・尊重は何よりも重要かつ緊急性の高い課題であり、会には技能実習生や留学生、永住者など多くの在日ベトナム人が訪れ、ベトナムにおける人権問題の現状について話し合いました。

[関連記事]
メー・ナム解放 米国へ亡命
良心の囚人の解放を求めるハンガーストライキ ファム・ミン・ホアン教授 良心の囚人 グエン・ベト・ズン裁判
近年最悪の言論弾圧: 人権ブロガーに禁錮10年
良心の囚人に捧げるクリスマス・チャリティー

[関連リンク]
Vietnamese Political Prisoner Database
ヒューマン・ライツ・ウォッチによる安倍総理への書簡「ベトナムの人権問題について」

会場に張り出されたベトナム国内で投獄されている良心の囚人たちの一部。現在も100名以上の人々が、政府による国民への人権侵害や腐敗を告発したために、政治犯として不当に投獄されいます。
シンポジウムに先立ち、昼に行われた交流会では食事会やボビナム(ベトナム格闘技)の演武、体験、書道体験、日本に住む青年が書いた本の出版祝いが行われました。
シンポジウム開会式では在日ベトナム人の有志らにより、人権問題の改善を願う歌やギター演奏が披露されました。
 今回のシンポジウムには、現代ベトナムの政治を研究する大東文化大学の中野亜里教授がゲストとして参加し、他のベトナム人講演者と共にパネルディスカッションを行いました。



 日本人にとって、ベトナムという国やベトナム人は、かなり身近になったように思えます。しかし、ベトナムの歴史や社会については、知られていない部分も多いのではないでしょうか。現在、日本に住むベトナム人は30万人近くに上り、外国人としては中国人、韓国人に次いで3番目に多いと言われています。にもかかわらず、ベトナムの人々がどのような背景から出国し、どのような事情を抱えて日本に住んでいるのかについては、まだ理解が進んでいないように思われます。
 日本のメディアでは、中国の人権問題については時折…

12/15 ベトナム人権フェアに向けて

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来月12月15日、日本在住ベトナム人協会が主催する人権フェア2018(Human Rights Fair 2018 Tokyo & Osaka)が東京と大阪で同時開催されます。

 フェアに先立ち、日本に住むベトナムの青年グループが各自ベトナムの人権問題に関する小論文を書いて発表する事となり、その中で、よく行動を共にしている私にも何か書いて欲しいと依頼を頂きました。  そこで今回は、私を知らない人が読む事を考え、誰もが疑問に思うであろう、なぜ日本人である私がベトナムの人権問題に興味を持っているのかという点と、一人の人間としての人権や社会に対する基本的な考えを正直に書いてみました。こうして出来上がった以下の文章は、友人がベトナム語に翻訳してフェアに向けてFacebook上で発表してくれる予定です。
『他者への思いやりが公正な社会を作る』 ベトナムウォッチ筆者 森泉大河  日本人である私がベトナム国内の人権問題に関心を持つ事を理解に苦しんだり、余計なお世話だと思う人もいるかもしれません。しかし私は、心の中にある以下の二つの動機から、この問題を他人事として傍観する事が出来なくなったため、あえて発言を続けています。  【1】日本人だからこそ   その動機の一つが、ベトナムを研究する中で芽生えた、日本人としての使命感です。私は長年ベトナムの近現代史研究を趣味としており、研究の過程でベトナム、日本、アメリカ、オーストラリアなどに住むベトナム人の方々と知り合いました。そして彼らから直にお話を聞く事で、日本のメディアでは報道されないベトナムの過去、そして現在の実情について知る事ができました。また彼らと人間同士の付き合いを持った事で、それまでは単なる「外国の歴史」と考えていたベトナムの事を、「今現在生きている人間の問題」と捉えるようになりました。  と同時に、私は日本が長年ベトナム国民への知識・関心・敬意を全く持たぬまま過去の戦争や現在の政権を都合よく利用してきた事を知り、一人の日本人として大変な憤りと情けなさを感じるようになりました。ベトナム政府と日本政府は、今後も経済協力や労働者受け入れなどで「友好的」な関係を続けるでしょう。しかし両国政府が互いを金づるとして利用し合う中で、そこに住む国民は互いの実態を知らぬまま、歪な憧れと誤解の中で生き続ける事になります。例えばほと…

早すぎる別れ

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私が日本在住ベトナム人協会への取材を始めた当初からお世話になっていた大貫 錦氏(ベトナム名グエン・ディン・カム。以下カムさん)が、2018年11月24日に永眠されました。享年62歳でした。


 これまでベトナム人協会メンバーの多くが、私が協会の各種催しを取材する事を歓迎して下さりましたが、中でもプロの越日翻訳・通訳者であるカムさんは、ベトナム語がほとんど分からない私を気にかけて下さり、シンポジウム等の際には毎回私の横で討論の内容を同時通訳して下さりました。
 外国人である私にとって言葉は最大の壁であり、このベトナムウォッチというブログはカムさんの通訳なしでは成り立たないほど、情報の大部分がカムさんのご厚意によってもたらされていました。

いつもカムさんの通訳を聞きながら書いていた取材メモ
 こうした取材を通じて、カムさんとはほとんど毎月のようにお会いするようになり、ご自宅へも3回ほど泊まらせて頂きました。私だけでなく、面倒見の良いカムさんの周りにはいつも、日本で暮らすベトナムの若者たちがカムさんの人柄を慕って集まっていました。カムさんは本当に、見知らぬ土地で暮らすベトナムの若者にとって先生であり、同時に父親のような存在でした。

在留期間を終えてベトナムに帰国する若者の送別会にて 2018年8月
私が最後にカムさんにお会いしたのは、つい一ヶ月ほど前の10月28日に開催された藤沢国際交流フェスティバルでした。カムさんはいつものように、元気にエプロン姿で自慢のフォー・ボー(牛肉フォー)を来場者にふるまっていました。
 カムさんはプロの料理人ではありませんが、それでもカムさんの作るフォーは絶品で、ベトナム人協会の催しでフォーがふるまわれる際は、いつも女性陣に混ざって厨房に立っていました。僕も何度カムさんのフォーを頂いた事か。



 直前まで元気に過ごしていたカムさんが突然脳卒中で倒れたのが11月21日。それから4日後、ご家族に看取られながら息を引き取りました。
 そのあまりに早すぎる死に、ご遺族はもちろん、老若男女問わずカムさん慕ってきた多くの在日ベトナム人が動揺し、悲しみに打ちひしがれています。
 私はカムさんと出合ってからまだ1年半ほどなので付き合いは浅い方なのですが、それでもカムさんほど思慮深く思いやりのある人物は私の人生において他になく、人生の大切な先輩を失ってしまい、…

メー・ナム解放 米国へ亡命

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昨日、『メー・ナム(マザー・マッシュルーム)』の愛称で知らるグエン・ゴック・ニュー・クイン氏が昨日2018年10月17日に刑務所から釈放され、そのまま政治亡命のため家族と共にアメリカに旅立った事が明らかとなりました。

アメリカ行きの機内で2年ぶりに我が子との対面を果たしたクイン氏 写真: Dân Làm Báo
 ベトナムの著名な人権・社会問題ブロガーで、二児の母でもあるクイン氏は2016年10月、『反国家宣伝』の容疑でベトナム警察によって逮捕・訴追されます。そして2017年6月には裁判所より禁錮10年という常軌を逸した判決が言い渡され、その後1年以上に渡って不当に投獄されていました。(過去記事『近年最悪の言論弾圧: 人権ブロガーに禁錮10年』参照)
 今回クイン氏が刑期を8年残して釈放そして亡命に至った背景として、クイン氏を支援してきたベトナムブロガーネットワーク(MLBVN)は二つの要因を挙げています。  一つはMLBVNメンバーおよび世界のベトナム人権組織が国連人権理事会や各国の人権機関に働きかけた事により、世界的にクイン氏の事件に注目が集まり、ベトナム政府に対し国際的な圧力が高まったこと。  そしてもう一つが、アメリカが中国の実質的な衛星国であるベトナムの人権問題に介入する事で、同じく民主化や人権問題を不安定要素として抱える中国に対して揺さぶりをかける意図があったと論じています。アメリカ国務省はクイン氏逮捕後の2017年3月にクイン氏に「世界の勇気ある女性賞」を送るなど当初からクイン氏の事件に注目しており、さらに昨今アメリカと中国の貿易摩擦が深刻化した事で、アメリカ政府はクイン氏の亡命受け入れを早々に決定しました。  またベトナム政府としても、国内にいる限り民主化運動の精神的なシンボルになりかねないクイン氏のような人物を、亡命という形で体よく国外追放する事には積極的でした。
[出典] Dân Làm Báo: Cuộc vận động Tự Do cho Mẹ Nấm - Nguyễn Ngọc Như Quỳnh http://danlambaovn.blogspot.com/2018/10/cuoc-van-ong-tu-do-cho-me-nam-nguyen.html

ヒューマンライツウォッチ・アジア副所長フィル・ロバートソン氏は今回のクイン氏の釈放と亡…

中秋節2018

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記事にするのが遅くなりましたが、9月23日に都内で開催された日本在住ベトナム人協会が主催する中秋節(テト・チュン・トゥー)のお祭りのお手伝いをさせて頂きました。
 日本でも十五夜・お月見として馴染み深い中秋ですが、ベトナムでは伝統的に子供たちのお祭りとして親しまれており、日本に住むベトナム人コミュニティでも大勢の家族連れが集い、子供たちと一緒に祖国のお祭りを楽しんでおられました。
 ベトナムの中秋節には子供たちがカラフルな五芒星の提灯を手に近所の家々を周って菓子を貰う風習があり、その提灯を親子で一緒に作るのも、中秋節の楽しみの一つとなっているそうです。






 中秋節は夜が本番。日が落ちると、みんなで作った提灯やを手に会場を出て、近くの公園で獅子舞(ムア・ラン・スー・ゾン)が披露されました。獅子舞は春節/元旦節(テト・グエン・タン)のものとばかり思っていましたが、中秋にも行われるのですね!


 私の地元の街には市民祭りはあるものの、私が生まれた時には神輿や獅子舞など伝統的なお祭りは既に廃れてしまっていたので、実際に経験した事がありません。ベトナムにはこの中秋節のように伝統的なお祭りが数多く残っているので、ベトナムの子供たちを羨ましく思います。
 しかし一方で、この日参加した子供たちのほとんどは日本で生まれており、今後も日本で生活していく以上、自分の親以外にベトナムの文化と接する機会はほとんどありません。この日一緒にお祭りに参加した私の友人も、両親はベトナム人ですが、生まれも育ちも日本であるため、中秋のお祭りはこれが初体験だったそうです。
 だからこそ、日本在住ベトナム人協会はこうした催しを通じてベトナムの伝統文化を守り、民族のアイデンティティーと同胞との絆を、日本で生まれ育つ次の世代のベトナム人に受け継ぐ重要な役割を担っているのだと感じました。